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広島高等裁判所松江支部 平成7年(ネ)42号 判決 1999年3月12日

亡武藤哲子訴訟承継人

控訴人

武藤匡光

外二名

右三名訴訟代理人弁護士

小笠豊

原守中

被控訴人

島根県

右代表者知事

澄田信義

右訴訟代理人弁護士

加藤済仁

右指定代理人

秋山佳久

門脇伸夫

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人は控訴人武藤匡光に対し金一〇一一万二九七〇円、同大向裕美子、同武藤泰治に対し各金五〇五万六四八五円、及びこれらに対するそれぞれ平成元年六月二八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人らのその余の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、第一、二審を通じ、これを二分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人らの負担とする。

三  この判決は、第一項1に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人武藤匡光に対し金一八五〇万円、同大向裕美子、同武藤泰治に対し各金九二五万円、及びこれらに対するそれぞれ平成元年六月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

第二  事案の概要

次のとおり付加、補正する他は、原判決の「事実及び理由」の第二に記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決一丁裏五行目の「原告」を「控訴人武藤匡光の妻であり、同大向裕美子、同武藤泰治の母である武藤哲子(以下「哲子」という。)」と改め、同一一行目の次に、改行して、「哲子は平成八年四月三〇日死亡し、控訴人らは、法定相続分に従い、哲子の権利義務を承継した。」と付加する。

以下、原判決引用部分の「原告」のうち、事実を主張する主体であるものはいずれも「控訴人ら」と、その余の「原告」はいずれも「哲子」と、「武藤匡光」及び「匡光」はいずれも「控訴人匡光」と、それぞれ改める。

二  原判決三丁表二行目の「午前一時」を「午前一〇時」と改める。

三  原判決四丁表一行目の冒頭に次のとおり挿入する。

(以下の付加、補正は、当審における控訴人らの主張の変更に伴うものである。)

「1 術式選択上の過失

(1)  控訴人らの主張

哲子には、その胸部下行大動脈から腹部大動脈の全長にわたって、ほぼ全周性に厚さ三〜五ミリメートルの壁在性血栓(粥状硬化性病変・壁在性粥状血栓)の付着があった。このことは、術前になされた血管造影やCTスキャンの検査結果を見れば確実に診断がつくことである。

このような患者に、本件バイパス手術を行い、壁在性血栓のびっしり付着した腹部大動脈〜両外腸骨動脈を手術操作すると、壁在性血栓が細挫され、粥状細片となって微小塞栓を飛ばす危険性が高いほか、大動脈壁が脆くて縫合し難いことがしばしば起こりうるから、哲子の閉塞性動脈硬化症の治療方針として本件バイパス手術を選択したことは不適切であり、それ自体が血管外科医として明らかな過失である。

(2)  被控訴人の主張

① 控訴人らの右主張は、時機に後れた攻撃防御方法であり、却下すべきである。

② 哲子に、腋窩動脈―大腿動脈バイパス手術を選択すべきであったとはいえず、A医師らが本件バイパス手術を選択したことに過失はない。」

四  原判決四丁表一行目の「1」を「2」と、同八行目の「原因」を「主原因」とそれぞれ改め、同九行目の次に、次の文を挿入する。

「一番考えられるのは、本件バイパス手術の腹部大動脈切開、人工血管吻合に先立って、腹部大動脈をフォガティー大動脈鉗子で縦に完全遮断し、減圧下にサテンスキー型動脈鉗子を腎動脈分岐下部から下腸間膜動脈上部まで半分ほど部分遮断し、その後減圧用フォガティー鉗子を半分浮かして部分遮断(部分血流再開)した際に、細挫された壁在性粥状血栓の細片が血流にのって末梢に流れて、足底動脈領域、足背動脈領域の小動脈に嵌頓、塞栓が形成されたということである。」

五  原判決四丁裏七行目の「吻合時」を「吻合の際」と改め、同八行目の次に、改行して、次のとおり挿入する。

「① 腹部大動脈の遮断方法における過失

本件のように壁在性血栓があることが術前から判っている症例では、腹部大動脈は完全遮断したままで手術を続行すべきである。もし、部分遮断で手術をするのであれば、最初から部分遮断にすべきである。しかるに、A医師らは、フォガティー鉗子で腹部大動脈を完全遮断した後、末梢を遮断しないまま部分遮断(部分血流再開)しており、そのために、フォガティー鉗子で遮断された際に細挫された粥状細片が末梢に流れて、膝窩動脈分岐部、前脛骨動脈領域、足底動脈領域、足背動脈領域の小動脈に嵌頓、閉塞が形成され、更に二次血栓が形成されたと考えられるから、これは、血管外科医として明らかな過失である。」

六  原判決四丁裏九行目の「①」を「② 中枢側吻合終了時の過失」という題に改め、五丁表九行目から一三行目までを削除する。

七  原判決五丁裏二行目「①」の次に、次の文を挿入する。

「腹部大動脈の遮断方法における過失に関する控訴人らの主張は、手術の手順・操作を理解していない場当たり的なものであり、主張自体失当である。」

八  原判決七丁表七行目から一二行目までを削除し、一〇丁表二行目の「2」を「3」と、同一二行目の「3」を「4」と、一一丁裏八行目の「4」を「5」と、一二丁裏七行目の「5」を「6」と、それぞれ改める。

第三  当裁判所の判断

一  術式選択上の過失の有無(争点1)について

1  当審における鑑定人草場昭の鑑定の結果及び証人草場昭の証言(以下、あわせて「草場鑑定」という。)並びに乙二、三、一五の1の1ないし12、一五の2の1ないし12、一五の3の1ないし12によれば、本件バイパス手術前になされた血管造影及びCTスキャンの所見では、哲子の胸部下行大動脈から腹部大動脈の全長にわたってほぼ全周性に厚さ三〜五ミリメートルの壁在性血栓が付着していたことが明らかに認められる。これは、内膜の粥状硬化症によって、そこに血栓が付着したものであり、このような血管に本件バイパス手術のような手術をしてメスを入れると、壁在性血管が微小塞栓になって下肢に流れていき、トラッシュフット(末梢の細小動脈塞栓による足趾、足部壊死)を起こす危険性が非常に高いため、そのような手術をする際にはこれを起こさないよう細心の注意を払う必要があることが認められる(草場鑑定)。

2  これに対し、被控訴人は、哲子の腹部大動脈で粥状変化が強かったのは下腸間膜動脈分岐部より約三センチメートル中枢側に存在した小指頭大の動脈瘤の周辺のみで、手術記録の「著明な粥状変化」との記載はその部分に限局されたものであり、それ以外の部分の硬化性の変化は壁の肥厚を主としたもので粥状変化は著明ではなかったと主張し、証人A(原審・当審)及び同Bも右主張に沿う証言をする。

しかし、哲子の手術前診断及び手術後診断名は「腹部大動脈粥状硬化症、両側総腸骨動脈硬化症」(乙三の七八頁)であり、哲子の入院経過抄録にも「腹大動脈粥状硬化、狭窄後拡張(瘤化)を呈していた」と記載されている(乙三の一頁)。哲子の手術記録は、「吻合予定部の両サイドにて大動脈の遮断を施行した。この部の大動脈の硬化性の変化はシビアであり……図(「著明な粥状変化」と記された大動脈瘤の壁を切開した図)の如く大動脈切開を施行したところ、内部の硬化性の変化は著明であった。これらの粥状物を慎重に取り除き」となっており(乙三の七九、八〇頁)、哲子の腹部大動脈の動脈硬化性病変の粥状変化が動脈瘤の周辺に限局されていたという記載ではない。B医師が、「89.5月26日、患者及び家族(夫)に対し、以下のことを説明し諒承を得たものと信ずる」として、「まして患者のような大動脈壁の性状では、大動脈遮断を行った際等に壁の粥状化片が塞栓となり、腎動脈や末梢小動脈につまる危険性が存在するということ」と入院診療録に記載していること(乙三の九頁)からみても、哲子の腹部大動脈の粥状硬化性病変は、草場鑑定のとおり、ほぼ全周にわたる強いもので、手術操作すると細挫され粥状細片となって微小塞栓を飛ばす危険性が高いものであったと認められ、これに反する被控訴人の右主張は採用できない。

なお、原審における鑑定人稲田洋の鑑定の結果及び証人稲田洋の証言(以下、あわせて「稲田鑑定」という。)は、哲子の腹部大動脈の動脈硬化性病変の状況についての被控訴人の主張が正しいことを前提に行われたもので、本件バイパス手術前になされた血管造影及びCTスキャンは鑑定資料となっていないから、哲子の腹部大動脈の動脈硬化病変の状況についての判断資料にはなり得ない。

3  もっとも、右のような危険性が高かったからといって、直ちに本件バイパス手術を選択したこと自体が不適切で過失があるということにはならない。控訴人らは、哲子の閉塞性動脈硬化症の治療方針として本件バイパス手術を選択したこと自体が血管外科医として明らかな過失であると主張する。しかし、草場鑑定も、自分なら本件バイパス手術は避け、腋窩動脈―大腿動脈バイパス手術を選択するというものではあるが、本件バイパス手術を選択したこと自体が過失になるとまではいっておらず、他に、控訴人らの右主張を認めるに足る証拠はない。

ただ、草場鑑定は、哲子のように粥状硬化性病変の強い腹部大動脈に本件バイパス手術をするというのは、トッラッシュフットを起こさないための細心の注意が絶対に必要なケースであるとしており、このことは本件バイパス手術上の過失の有無の判定にあたって十分に考慮すべきである。

二  本件バイパス手術上の過失の有無(争点2)について

1  哲子の左足趾閉塞の原因(争点2(一))について

まず、哲子の左足趾を壊死に至らしめた左下肢動脈の閉塞部位につき検討する。哲子の左足背動脈は、第一次血栓除去術をした後一旦触知できるようになったが、第二次血栓除去術の前には触知不能となり、第二次血栓除去術中の左下肢血管造影でも、膝窩動脈、後脛骨動脈、更に足部まで造影剤が侵入しているのに対し、前脛骨動脈から足背動脈には造影剤の進入が確認できず、術後も足背動脈の拍動は触知されていない〔乙三、一〇、証人A(原審)、同B〕。このことからすれば、哲子の左前脛骨動脈から足背動脈までの間に閉塞が生じたと考えるべきである(稲田鑑定)。

被控訴人は、右閉塞の原因は、第一次血栓除去術後に発生した左下肢の膝窩動脈以下末梢の血管の攣縮により血液が鬱滞して血栓が左足部終動脈に形成されたためであると主張する。確かに、哲子のような動脈硬化症の患者に本件のように何度も血栓除去のためにカテーテルで下肢動脈を刺激した場合に攣縮が起こりやすいことは認められる。しかし、血栓除去のため二度にわたりカテーテルを走行させたはずの後脛骨動脈の方は開存し、カテーテルを走行させられなかった前脛骨動脈の側で閉塞が起きたことからすると、攣縮のみを閉塞の原因とする被控訴人の主張は採用できず、器質的に動脈の閉塞を来す塞栓が左前脛骨動脈から足背動脈までの間に存在したことも原因となっていると認められる(稲田鑑定)。

そして、右塞栓の由来を検討するに、被控訴人は、仮に本件バイパス手術中の吻合操作によって粥状物、壁剤性血栓等が塞栓として末梢側に遊離したとしても、それは本件バイパス手術中の除去された左外腸骨動脈の血栓や第一次血栓除去術で除去された左浅大腿動脈の血栓に引っかかるはずであるから、本件バイパス手術中の操作部位から遊離した粥状物等が哲子の左足趾壊死を引き起こす閉塞となった可能性はないと主張する。しかし、中枢側吻合部位の粥状硬化性病変がほぼ全周にわたる強いもので、手術操作すると細挫され粥状細片となって微小塞栓を飛ばす危険性が高いものであったことは前記一認定のとおりであるから、遊離した粥状細片が末梢側に存在した他の血栓に引っかからずに更に末梢に飛んだ可能性は十分にあり、これが哲子の左足趾を壊死に至らしめた左下肢動脈閉塞の主たる原因であると考えるのが相当である(草場鑑定)。B医師も、「術直後、微小塞栓(動脈壁の粥状硬化)が左大腿動脈より遠位部に飛び、この血栓のため、左下肢冷感、蒼白化した」可能性が一番強いと判断し、平成元年六月二一日に控訴人匡光に対し、そのように説明していることが認められる(甲一、証人B)。

控訴人らは、本件バイパス手術中の操作で一番考えられるのは、腹部大動脈切開、人工血管吻合に先立って、腹部大動脈をフォガティー大動脈鉗子で縦に完全遮断し、減圧下にサテンスキー型動脈鉗子を腎動脈分岐下部から下腸間膜動脈上部まで半分ほど部分遮断し、その後減圧用フォガティー鉗子を半分浮かして部分遮断(部分血流再開)した際に、細挫された壁在性粥状血栓の細片が血流にのって遮断されていなかった末梢側に流れ、足底動脈領域、足背動脈領域の小動脈に嵌頓、塞栓が形成されたことであると主張する。確かに、この時末梢側の血管は遮断されていなかった(争いがない)から、右手技の際に細挫された壁在性粥状血栓の細片が末梢側に流れ、膝窩動脈分岐部、前脛骨動脈領域、足底動脈領域、足背動脈領域の小動脈に嵌頓、塞栓が形成され、更に二次血栓が形成された可能性は十分にある(草場鑑定)。

2  本件バイパス手術上の過失の有無(争点2(二)ないし(四))について

(一) 控訴人らは、次のとおり主張する。

① 被控訴人が、A医師及びB医師において、中枢側吻合の際及び末梢側吻合の際に、血栓や動脈硬化性粥状片が末梢に飛ばないように取ったと主張する処置のうちカルテに記載されていないものは、実際にはなされておらず、虚偽の主張である。

② 仮に、A医師及びB医師において、実際に被控訴人主張どおりの処置を取っていたとしても、右処置は不十分であり、A医師及びB医師には、粥状片が末梢に飛散することを防止する十分な処置を怠った過失がある。

(二) そこで検討するに、被控訴人がなされたと主張する粥状片の末梢飛散防止処置は、血管外科医としてはいちいちカルテに記載しなくても通常行うはずのものであると認められる〔稲田鑑定、証人A(原審)、同B光成〕。

そして、中枢側吻合終了時や末梢側吻合にA医師及びB医師が取ったと主張する処置の手順及び操作は入念で、末梢への塞栓の防止処置として適切であったことも認められる(草場鑑定、稲田鑑定)。

(三) 問題は、中枢側吻合に先立ち腹部大動脈を遮断した際の処置である。

控訴人らは、本件のように壁在性血栓があることが術前から判っている症例では、腹部大動脈は完全遮断したままで手術を続行すべきであり、もし、部分遮断で手術をするのであれば、最初から部分遮断にすべきであるのに、A医師らは、フォガティー鉗子で腹部大動脈を完全遮断した後、末梢を遮断しないまま部分遮断(部分血流再開)しており、そのために、フォガティー鉗子で遮断された際に細挫された粥状細片が末梢に流れたと考えられるから、これは、血管外科医として明らかな過失であると主張する。

これに対し、被控訴人は、控訴人らの右主張は、手術の手順・操作を理解していない場当り的なもので、主張自体失当であると反論し、証人A(当審)は、当初から部分遮断で手術することは難しいし完全遮断のまま手術をして末梢側を遮断する場合は末梢側の塞栓子の除去方法がないと証言し(一二三項ないし一四〇項)、同Bも、フォガティー鉗子で腹部大動脈を完全遮断した直下に粥状物があれば手術上対応できないと証言している(原審第一六回口頭弁論調書三二ないし三四項)。

しかし、哲子の胸部下行大動脈から腹部大動脈には全長にわたってほぼ全周性に厚さ三〜五ミリメートルの壁在性血栓が付着しており、このことは術前の血管造影及びCTスキャンの所見から明らかであったと認められることは前記認定のとおりである。証人A(当審)は、CTスキャンの所見だけでは、動脈硬化性病変が粥状のものか壁の肥厚かは判別不能であると証言するが、哲子のCTスキャンの動脈壁には黒い影があり、血管造影でも高度の狭窄が認められている(乙二、三、一五の1の1ないし12、一五の2の1ないし12、一五の3の1ないし12)ことからすれば、哲子の手術部位に強い粥状硬化性病変があることは、当時の一般的な医療水準に照らし、術前に十分予想できたことであると解するのが相当であり、このように粥状硬化性病変の強い哲子の腹部大動脈に本件バイパス手術を施行する以上、A医師及びB医師にはトラッシュフットを起こさないための細心の注意が要求されていたというべきである(草場鑑定、甲二六の1、2、二七の1、2)。

このような症例の大動脈を遮断するには、まず末梢を遮断してから中枢を遮断するということは血管外科の常識となっている〔草場鑑定、証人A(当審七八項)〕。A医師は、哲子の左総腸骨動脈は石灰化が強く、挟むことはできないと証言しているが〔証人A(当審七九項)〕、中枢側吻合や末梢側吻合の際には現に末梢側を遮断しているのであり〔原判決別紙図3ないし5、証人A(当審一二五項、一二六項)〕、本件において中枢側吻合に先立つ大動脈遮断の際に末梢側を遮断することが技術的に可能であったことはA医師も認めている〔証人A(当審一二八項、一二九項)〕。

そうであれば、A医師及びB医師は、末梢側を遮断して哲子の腹部大動脈を完全遮断したままで手術を続行すべきであった(もし部分遮断で手術をするのであれば、最初から部分遮断にすべきであった)のであり、それにもかかわらずA医師及びB医師が中枢側吻合に先立ちフォガティー鉗子で哲子の腹部大動脈を完全遮断した後、末梢を遮断しないまま部分遮断(部分血流再開)とした処置は、同医師らに要求されていたトラッシュフットを起こさないための細心の注意に欠けるものであり、そのために、フォガティー鉗子で遮断された際に細挫された粥状細片が末梢に流れ、これが哲子の左足趾を壊死に至らしめた左下肢動脈の閉塞の原因になった可能性が高いから、これは血管外科医として明らかな過失であると解するのが相当である(草場鑑定)。

三  血栓除去施術上の過失の有無(争点3)について

この点について、A医師及びB医師に過失があるといえないことは、原判決三三丁表四行目から同丁裏五行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。

四  左足趾の閉塞性虚血症状に対する処置の誤りの有無(争点4)について

A医師及びB医師は、被控訴人が原判決一〇丁裏一一行目から一一丁裏五行目の「使用できなかった。」までに主張するとおりの処置をしたことが認められる(乙三、一〇、証人A(原審)、同B)。

仮に、A医師及びB医師が、術後の第一次血栓除去術及び第二次血栓除去術において、膝下で膝窩動脈分岐部を露出、切開し、前脛骨動脈領域の血栓除去を試みたとしても、足関節部より末梢側の塞栓の除去は手技的に極めて困難で不可能に近く、足部、足趾の虚血症状の改善は期待できなかったと考えられるから、この点についてA医師及びB医師の処置に不適切な点があるとは認められず、過失があるとはいえない(稲田鑑定、草場鑑定)。

五  説明義務違反の有無(争点5)について

1  被控訴人は、平成元年五月二六日に、B医師が哲子及び控訴人匡光に対し、術前検査の所見及び手術方法を説明した上で、手術の危険性を詳しく説明しており、哲子及び控訴人匡光はこの説明を聞いた上で哲子が手術を受けることを承諾し手術承諾書に署名押印したと主張する。

これに対し、控訴人らは、B医師から本件バイパス手術当日に控訴人匡光に対し簡単な説明があっただけで、本件バイパス手術によって血栓ができることがあり、そうなれば片足を切断せざるを得なくなるようなこともあり得る旨の説明は術前にはなされなかったと主張する。

2  そこで判断するに、平成元年五月一二日の初診時に哲子を診察したのはA医師であったが、五月一九日に検査入院した際に主治医となったのはB医師であり、手術に関する説明はB医師の担当であったことが認められる〔証人A(原審)、同B〕。

そして、哲子の入院診療録(乙三の九頁)には、B医師が哲子及び控訴人匡光に対し、合併症につき詳細な説明をした旨の「89.5月26日」付けの記載がある。

しかし、その記載箇所は五月二七日付け記載の後になっている。証人B光成は、五月二八日に右記載をしたと証言しているが、同入院診療録には五月二九日に第二次血栓除去術を行う前に控訴人匡光にしたはずの説明の記載は全くなく、六月一一日、六月一四日に左足趾血行不全に関して家人にした説明の記載は簡略であること(乙三の一五、一六頁)と対比しても、右五月二六日付けの記載内容は殊更詳細である上、「説明し、諒承を得たものと信ずる」など不自然な表現になっている。

また、哲子及び控訴人匡光が本件バイパス手術の三日前に説明を受けて本件バイパス手術の手術承諾書を提出したのであれば、哲子自身が署名することは十分可能であるのに、これを控訴人匡光が代行していること(乙三の七七頁)は、哲子が手術の説明を受けることも署名することもできない状況にあった第二次血栓除去術の手術承諾書(乙三の八五頁)の提出状況と類似しており、B医師が三日前に本件バイパス手術につき右記載どおりの説明をした上で手術承諾書を受領していたかは極めて疑わしい。

そして、B医師が合併症の説明をしたとして記載された内容も、「血栓による動脈閉塞が起こり得る。まして、患者のような大動脈壁の性状では、大動脈遮断を行った際等に壁の粥状化片が塞栓となり、腎動脈や末梢小動脈につまる危険性が存在するということ、これにより、腎不全・下肢血行不全が起こり得るということ」という極めて周到なものであって、右記載は本件手術後に控訴人らとのトラブルを意識して記入された可能性が極めて高いと考えられる。

更に、右極めて周到で詳細な合併症の記載内容自体にも、塞栓による閉塞の結果下肢が壊死して切断せざるを得なくなるようなことがあり得るという事態の説明がなされたとの記載は認められず、他に、哲子に対しこの危険性の説明がなされたと認めるに足る証拠はない。

3  哲子は本件バイパス手術の約二年半前から右足の痛みを感じるようになり、間歇性跛行に約二年間悩まされ、手術による改善を強く望んでいたことは争いがない。

しかし、術前になされた哲子の血管造影やCTスキャンの所見からすれば、哲子に本件バイパス手術をすれば、健全な左下肢にまで塞栓が飛び、壊死して切断せざるを得なくなる事態が生じることも十分予想された(草場鑑定)。もし、術前に哲子が右の危険性があることの説明を受けていたら、哲子はそのことを十分考慮して本件バイパス手術を受けるか否かを決断することができ、その結果本件バイパス手術を受けることを選択しなかった可能性も否定できない。そうであれば、A医師及びB医師としては、哲子に対し、右危険性の説明を十分なした上で、それでも哲子が本件バイパス手術を受けることを選択するか否か、自己決定の機会を与える義務があるというべきであるから、A医師及びB医師には、哲子に対し本件バイパス手術の危険性につき十分な説明をせず、哲子の自己決定権を侵害した過失がある。

六  被控訴人の責任

以上のとおり、哲子の左足趾が壊死し、左下腿切断を余儀なくされたのは、A医師及びB医師が本件バイパス手術における腹部大動脈の遮断方法を誤った過失によるものであり、哲子に対する説明義務違反も認められ、不法行為を構成するから、被控訴人は不法行為者の使用者責任に基づき、右不法行為によって哲子に生じた損害を賠償すべき責任がある。

七  哲子の損害(争点6)について

1  逸失利益

左下腿切断当時、哲子は満五四歳であった。哲子は平成八年四月三〇日に死亡したが、就労可能年数の認定に当たって右死亡の事実を考慮すべき特段の事情が存在したことの主張立証はないから、哲子の就労可能年数は一三年となる。

また、左下腿切断後は後遺障害別等級表第五級の5に該当し、その労働能力喪失率は七九パーセントとされているが、哲子が健康体ではなく昭和六一年一二月末以来右下肢に痛みを感じるようになり、間歇性跛行に約二年間悩まされていたことを考慮すると、本件と相当因果関係のある労働能力喪失率としては、五〇パーセントをもって相当と認める。

よって、本件と相当因果関係のある哲子の逸失利益は、五四歳女性の平均年収を控訴人らの主張どおり金二六九万三四〇〇円とし、これに一三年の新ホフマン係数9.821を乗じ、さらに労働能力喪失率五〇パーセントを乗じて算出した金一三二二万五九四〇円となる。

2  慰謝料

哲子は、昭和六一年一二月末以来悩まされていた右下肢の痛み、約二年間にわたる間歇性跛行の治療のために本件バイパス手術を受けたが、手術の危険性につき十分な説明を受けないまま手術を受け、手術操作のミスにより、左下腿を切断することとなり、平成八年四月三〇日に死亡するまで義足で、外出や家事も思いどおりにならない不自由な痛みのある生活を余儀なくされた(弁論の全趣旨)のであるから、右切断手術の入通院慰謝料及び左下腿切断の後遺症慰謝料は金五〇〇万円が相当である。

3  弁護士費用

被控訴人の負担すべき弁護士費用は金二〇〇万円が相当である。

4  合計

哲子の損害は、右1ないし3の合計金二〇二二万五九四〇円となる。控訴人匡光は、哲子の夫として右損害賠償債権の二分の一である金一〇一一万二九七〇円を、同大向裕美子、同武藤泰治はいずれも哲子の子として右損害賠償債権の四分の一である金五〇五万六四八五円を、それぞれ相続した。

よって、被控訴人は控訴人らに対し、右各金員及びこれらに対する不法行為後(左下腿切断の日)である平成元年六月二八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を賠償すべき義務がある。

第四  結論

以上により、控訴人らの請求は主文第一項1記載の限度で理由があり、これをすべて棄却した原判決は失当であって本件控訴は一部理由があるので、右の限度で原判決を変更することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 角田進 裁判官 石田裕一 裁判官 水谷美穂子)

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